
無我夢中になれれば精神安定剤に ?
人から「凄い画だね」と言われるのはそれなりに経験を積めば可能かもしれません。でも、「好い画だね」と言われるのは何十年やっていても経験できないこともあります。「好い画」の定義が人それぞれで違うのですから、その人の感性・美的基準に訴えるものがなければその人の心に響かないからでしょう。多くの人に「好い画だね」と言われることは私にとっても理想ですが、誰からもそう評価されるのは不可能に近いですし、その言葉を期待することだけに作品を描くようになったら、それ以外に作品を画く価値を見出せなくなったら辛いだけです。作品を描くことで心が和む、それが私にとっては理想ですし、そうであって欲しいと思っています。褒められれば私も嬉しい、それは否定できない事実ですが、ひたすら願うのは一人でも多くの人の目に触れたならそれも良い、作品を描くことに楽しさを感じられたらもっと良い、それだけです。
私にとって「鉛筆画」は精神安定剤のようなものなので、描くことが大事なのであって、自己満足でも良いんです。こう述べていると悟りをひらいているかのように聞こえるかもしれませんが、決してそんなことはありません。そう捉え自分に言い聞かせていないと作品に自分らしさを出せないことと、鉛筆画を楽しめないからです。思うようにならず短気を起こすこともまだまだあって、途中で断念して描くことを止めてしまうこともあります。ま、仕事ではないのですから、精神安定剤にならないとなれば潔く保留にして、別の作品に取りかかったりしています。でも、保留にした画はすぐには捨てず、いつかもう少しましに描けるかも知れないと自分に言い聞かせて、気持ちが落ち着いた頃また再開したりすることもあります。
何年か前の下書きにようやく手を入れることは、私にはよくあります。私には下書きはかなり重要で、自分なりに「うん、よくできたかな」と思うと、それだけで一息ついてしまって、作品の細部の描き込み制作を後日にまわすことがかなりの頻度であります。ところが、後日その下書きを見た時、あれ? なんだかイメージと違うような・・・と感じることがあるんです。よーく自分なりに分析してみると、大抵はどこか間違った描き込みをしているんです。それぞれのパーツの形、大きさなどが時間が経つと違って見えることがあるのです。参考にしている写真・グラビア・他の人のイラストと改めて見比べてみると「なぜ、あの時はこの点に、この違いに気づかなかったのだろう?」ということになります。人や物の形や特徴を描くのは本当に難しいものだと、いつも感じています。
鉛筆描画もイメージトレーニング ?
私は趣味では未熟・発展途上も個性だと考えていますが、今の個性に満足できずそれ以上のものを望む人は、どうしたら更に上の段階に進めるのだろうか、人や物の形・特徴を正確に表現するには何が必要なのか悩むことでしょう。
人や物の形・特徴を掴むにはスポーツと同じでイメージトレーニングが必要なのかも知れません。ただ、人間にはどこかいい加減なところがあるので、間違いや偏見、思い込みが不正確なイメージを頭や体に染み込ませてしまうことがあります。これを回避するのは容易ではないと思います。
個人的にはこの弊害を避けるためにも「トレースする」という行為も必要なのではないかと思っています。
手っ取り早く凄い作品を描くためのキーワード「嘘から出た実(まこと)」
誰でも最初にぶつかる壁は姿、物(あるいは人)の形を正確に描き留めることができないことではないでしょうか。「見たままを描き留める」、口にするのは簡単ですが実際にはとても難しいです。人間には誰しも先入観や誤解、あるいはいい加減さがあるので、実物とは違った感じのものを描いてしまうことがよくあります。まぁ、これはこれで善(よし)とすることもできますが、例えばスーパーリアルな画を描きたいという場合はそうはいきません。また、「どうしたら早く上手に描けるようになるの?」と上手な人に聞けば(上手の定義は色々な見方があると思いますので、ここでは敢えて定義はしません)恐らく達人たちが回答をするならば「上手な人の作品を手本として真似をする」とか「数をこなすしかない」と言うでしょう。(私もそのとおりでそれ以外ないのではないかと思います・・・と言ってしまうと先が続かないので以下は私なりのコメントです)
さて、「真似をするとはどうやるの? 数ってどれ位? 10枚? 100枚? 1000枚? 」という質問の声も聞こえてきそうです。ここから先はちょっと不確実なお話になるので信じるかどうかは個人の自由です。(まぁー・・・「そんな馬鹿なことがあるか! 」と言われるかな)確かに1000枚も描けばそれなりに上達するのでしょうけど、100枚でもかなり難儀であり時間も必要です。だから「そこまではやれない」と言う人がほとんどでしょう。そこで私が「やってみたら良いのでは?」と思うのは(敢えてお勧めという表現は使いません)、「トレース」です。トレースは対象の人物や物の写真などを紙の下に置いて、裏から光を当ててすかし、凝視して観察しながらなぞって描くわけです。馬鹿馬鹿しいと仰る方も当然おられるでしょうが、私は、トレースの精度が上がってくると短時間で上達したような気分になれ、回数をこなせばそれなりに実力も身につくのではないかと思っています。あたかも「嘘から出た実(まこと)」のように。
トレースも上達方法の一つと捉えてみるのも良いのでは ?
描いてみたいグラビア写真などを下から光を当てて紙に映し出し、輪郭をなぞって描きます。ライトテーブルなどは私を含めて一般人は持っていませんから、窓ガラスに貼ってトレースするのも一つの手です。これも持っている人は少ないとは思いますが、プロジェクターがあればパソコンに画像を取り込んで、壁(紙)に投影するのも手です。皆さんもフェルメールという画家を知っていると思いますが、彼の絵には背景がよく似ている作品が何点かあります。一説では自室に暗室を作り、ピン・ホールカメラの原理を利用して暗室内に写った映像をトレースして描いたというのです。確かに窓の位置や形、光の具合など酷似しています。人物や机・テーブルや食器とかの小道具を置き換えれば、これらの画が描けそうです。そうやって彼は正確な輪郭を描いたかも知れませんが、私達と違うのは細部については彼自身の感性や技術で描き込んでいることです。その感性や技術のレベルが私達とはまったく次元の違うものであることを忘れてはいけません。光と影を巧みに表現していますし、結果としてあれほどリアルでいて魅力的な画を描いたのではないでしょうか。
ところで、トレースというやり方は邪道とか言って引け目を感じたり良くない印象を抱く人もいると思いますが、所詮トレースで私達ができるのはせいぜい輪郭を把握するところまでです。陰影を付けたり細部を描き込んでそれらしく見えるようにするのは更に上の別の次元の話となり一朝一夕では到達できるわけがありません。ですが、描きたい対象の姿・形を自分の感覚だけで描いていた時よりも納得できる結果が出た際は、自分の実力ではないかも知れない「偽物の下書き」と感じてはいても、これにどんどん手を入れ描き込んでいけば、「もしかしたらかなり良い出来の作品が描けるのではないか」と期待を抱くことは多くなると思います。この「期待」はモチベーション維持には大事なのではないでしょうか。私自身、鉛筆画は私の精神安定剤のようなものであると同時に、人付き合いが苦手な自分から鉛筆画を始めとした制作活動を取ったら何も残らないのではないかという気持ちもあるので、「書き続けたい !」という思い・意欲=モチベーションの維持は大切なのです。事実、私の場合モチベーションが下がっている時は風邪を引いたりして体調を崩す傾向があることがそれを証明していような気がします。(すみません。話が少し飛躍したようです)
やはりトレースに対しては「後ろめたい」という感覚に誰でも襲われますから「偽物の下書き」という表現を使いましたが、それでもトレースを繰り返しているうちに様々な物の「姿・形」のイメージだけは何となく身についてきたのではないか、少なくともそんな気にはなります。そして暫くしてトレースなどしなくても描けるのではないかという気持ちになってきたら、マス目というか格子というかグリッドというか、別の方法で対象物の姿・形を自分の眼(視覚)で分析し、紙の上に描けるようになっているのではないかと感じ始めたら大きく飛躍できるチャンスです。嘘のように聞こえるかも知れませんが、トレースを繰り返していると、知らず知らずですが「観る力」の実力がついてくるということが期待できると思います。次に必要になるのは「描写する力(細部を描き込む力)」なのですが、トレースでは残念ですがこの力を育めません。










フェルメールの絵には、構図というか窓の配置や形状、射し込む日射しの感じなどが、何となく似通っているものが数点あります。どれも屋内の絵ですが明らかにフェルメールは同じような位置から、同じような目の高さで対象物を見て描いていることが予想できます。
一説では自室に暗室を作り、ピン・ホールカメラの原理を利用して暗室内に写った映像をトレースして描いたというのです。
実際そうだったとしても、私たちでは果たしてこのような絵は描けるでしょうか。

これは、写真のポジフィルムやネガフィルムをルーペ(拡大鏡)で覗き込んで、写真フィルムの状態を確認する時に使う卓上ライトボックスと呼ばれるものです。フィルムカメラ全盛時代の遺産です。A4判くらいまでしか載せられませんが、こういった物があると手軽にトレースができます。
写真では広告の上に上質紙を置いて、下からライトを当てています。薄手の紙ならばこうした方法でトレースできますが、イラストボードやボール紙など厚手のものには通用しない方法です。
トレースダウンという方法を併用すると厚手の紙にも輪郭を描き移せます。

最近ではトレースボードという便利な物あります。7,000円〜10,000円くらいの値段で購入できるようです。LEDライトを使用しており、A3判くらいまで対応できるようです。私も欲しくなりました。
ただ、こうした下から光を当てる器具は眼にかなり負担を掛けますから、視力の低下や将来的には白内障などのリスクが考えられますので、その点は留意しておくべきかと思います。
頻繁にめくっては輪郭を確認しながらトレースします




まずはトレースする題材と描き移す紙がずれないように2か所くらいをセロハンテープなどで固定します。透けて見えているようでも完全に見えているとは限りません。頻繁にめくって確認します。同時に、見えている部分もよく観察しましょう。そうやって観察する(観る)力を養っていきましょう。最終的な目標はトレースをしないで描くことですから。

こんな便利なものがあるんですね。インターネットで調べてみると、似たようなものが何種類もあることが分かりました。
私は使ったことがないのですが、自分で描いた下絵を大きな紙に拡大して描き直す際には重宝しそうです。欲しくなりますね。
大きさを変える(拡大と縮小)という新たな壁
誰でもが次にぶつかる壁は描きたい対象の拡大・縮小ではないでしょうか。ある程度慣れないと、マス目・格子(グリッド)という方法を試みてもなかなかこの問題を解決できない、上手くいかない、気に入った結果にならないという人が少なくないのも事実です。ですが、そこで諦めてしまわないで、最終的にはこの技術をマスターすることを目標にしましょう。マスターするというか、コツを見出すと少しずつ自信が付き、精神的にも技術的にもグッと前進した気持ちになると思います。
洋の東西を問わず大きな建築物の壁画・天井画などはこの技法を用いて製作されているようです。それほど大きくはない原画を元に、原画の各マス目の中に描かれた内容を、壁や天井に拡大して描いたブロック【マス目・格子(グリッド)】の中にも忠実に再現するわけです。大勢の人が一度にブロック毎に作業ができますから、結果として工期の短縮も期待できます。このページで取り上げている話とはスケールが違い過ぎますが原理は同じだということをお伝えしたかったのです。
とは言え、最初は道具に頼ることも仕方ないとは思います。プロジェクターなどの機器があれば便利ですが私を含め殆どの人は持っていません。元にする写真などの対象をコピー機で拡大・縮小する方法もありますが、大きさに制限があったり、なかなか自分の気に入った大きさにできないこともあるでしょう。そして一般家庭に高機能なコピー機などはありませんから、店舗に備え付けのコピー機を利用しようと考えると思いますが、コピーサービスを利用することは枚数が増えればそれだけお金が掛かります。また、コピー機が扱えるのはA3サイズ程度までですし、それ以上のものを用意しようとするには貼り合わせる必要があり、かなり大変なのではないでしょうか。
しかしながら、このような悩みをもっとお手軽に解決する「道具」はあります。アナログな方法ですが「拡大縮小器」というものが文具用品としていくつかの企業から販売されています。この器具は等倍でトレースもできます。ただ、この器具を使って「トレース」をする場合は、特に何かを観察したり意識しながら描いているのではないので、「画を描く技術の上達、観察する眼を養うこと」は望めませんから、写真などの対象や図面の拡大・縮小のためだけの道具ときっぱりと割り切ってください。
私の紹介しているトレースとは、「自分の眼で観て観察し分析をしながら輪郭などを自分の手でなぞること」が大切な目的なのであって、何も観察・分析や意識もせず「グラビアなどの対象の輪郭を単に紙の上に移すこと」ではありません。結果として、トレースで似顔絵などが上手く描けたとしても、あまり自慢にはならないと私は思います。